運営会社
社名:MyMedipro株式会社
代表 代表取締役 鈴木吉彦
事業内容 医療プラットフォーム製作事業
設立 2011年12月13日
所在地 東京都千代田区一番町5番地3 アトラスビル1階
どういうプラットフォームを目指すのか?
3方得:すべての人に医療DXを活用して幸福をもたらしたい
患者さん、一般の方がた、
医療従事者、医師のみならず、すべての医療に携わる方がた
製薬企業に勤務される方がた
などから、誰からも愛される医療DXサービスを構築したいのが目標です。
恩師は? So-net 初代社長 堀籠社長
理由 1996年当時、ソニー内部では医療事業は絶対に成功しないといわれ、森田会長にも反対されていた中で、私を抜擢してくださいました。
堀籠社長のおかげで社長賞もいただけ、会員数11万人を越える日本最大給の医療情報プラットフォール「medipro 」を立ち上げる事ができました。日本で最初に10万以上の医療向けプラットフォームを立ち上げ運用した過去の経験は、今になっても貴重な財産として残っています。
So-net 時代:社長賞を授与
医療従事者向けプラットフォーム事業が成功し当時としては爆発的な医療従事者からの支持を得て、So-net会員を増やしました。医療ITといえば、So-netというくらいにまで、So-netの
知名度を高めた事で、So-netの第2回目の「社長賞」を頂く事ができました。ソニーの中では
医療事業は絶対に成功しない、と言われていた過去の先入観を見事、破って、堀籠社長は評価してくださいました。
So-net時代に、「日本初」として、成し遂げた事業は?
当時はインターネットの黎明期時代でしたから、日本初の仕事を沢山なしとげました。
・海外学術情報を48時間以内に日本中にレポートする
・日本初の有料課金コンテンツを作る
・大量の人数の医療従事者にメール配信サービスを開始
So-net時代に、大成功した背景
多くの医療系出版社の協力
医学書院を始め、医歯薬出版社、南江堂など沢山の医療系出版社からの賛同を得て、当初は医療系出版社が集まった医療系ポータルサイトとなりました。
日本初:課金コンテンツや検索エンジンの開発
日本で最初に、有料課金コンテンツを開始したのは、So-net時代に鈴木医師が考案した医療コンテンツでした。また、医学中央雑誌社の医中誌Webの検索エンジンの製作にも成功しました。
日本糖尿病学会の学術集会の申し込みシステムを作成し、日本糖尿病学会の最初のサイトを、鈴木吉彦医師が個人で作成し立ち上げました。
日本初:海外医学ニュースを48時間以内にお届け
沢山の製薬企業の支援もうけ、世界中の国際学会の最新情報を現地取材し、発表から48時間以内に翻訳し考察を加え日本にお届けするという、1998年当時としてはとしては、全く斬新なサービスを展開し多くの製薬企業からの信用を得ました。
コミュニティ & ニュース記事配信 & アンケート
医療従事者向けの掲示板サービスを始めたのですが、あまりのPVが多く、アクセスが増えすぎ
私達は当時は10名前後のチームでしたから、運営が大変すぎて途中で中止しました。日々、
医療ニュースを配信し、日本初のメールマガジンを配信。アンケートは、300人の医師から、瞬時に返答を得て、周囲を驚かせました。多くの製薬企業の新薬を紹介しました。
動画配信サービス & 独自の「シングルサインオン」を発明
鈴木吉彦医師は、So-netのみならず、ソニーからの要請もうけ、ソニー内で、Medchan.TV という動画配信サービスを日本初で開始しました。ハーバード大学とのコラボで医学教育講座も開始しました。独自で考案したシングルサインオンの仕組みを製薬企業へと新提案しました。具体的にはMyMediproから、さまざまな製薬企業への会員系サイトに自由に、One ID, One PWで、出入りができるシングルサインオンシステムを発明しました。その結果、MyMediproは、日本最大級の医師会員数を誇る日本No.1サイトとして認証され、多数の連載記事、講演会を行い日本全国に、MyMediproの名前を広め、日本では類をみないPVや人気となり様々なメディアにとりあげられました。
「MR君」を考案。「サービスコード」を発明。
「MR君」を考案しました。製薬企業が医師に配布する「サービスコード」systemを考案し、多くの製薬企業(約30社以上)の支持を得て、医師会員を数万人へと増やしました。
2000年当時、時代の寵児とされていましたが、辞めました。
2000年頃からマスコミ取材やアポが殺到し、参議院議員への出馬まで依頼されるなど、大変な騒動になりました。一方、私が提案した「ミトコンドリア異常が糖尿病性神経障害の原因である」という学説も米国で認められるようになりました。学者としても忙しくなった事から、会員数11万人も抱える日本最大級の医療情報プラットフォームの実質上のリーダーだったのでしたが、自らその地位を辞退し、医師として多くの患者さんを助け、学者あるいは臨床家としての道を歩むことにいたしました。そのおかげもあり、日本医科大学の客員教授とさせていただき論文業績においては大きな貢献を医療業界に対して成し遂げてきました。IF(インパクトファクター)は300以上です。応援していただいた皆様には深く感謝の意を述べさせていただきます。
なお、1996年にDiabetes Careに原著として公開された論文は、「世界で最初に、核遺伝子異常とミトコンドリア遺伝子異常との相関」を証明した論文として医学界の中では、知る人ぞ知る偉業を成し遂げた論文となっています。今ではあたり前の事象ですが当時は誰が世界で最初にその偉業をなしえるかを競争していた時代でした。生化学分野に大きな一石を投じる事ができました。(Click here )
開業医としての成功
鈴木医師の80冊あり、大ベストセラー書籍が何冊もあります。よって臨床現場に戻っても、その臨床医としての腕や医術は高く評価され、長年、名医ランキングで、開業医でありながら、「名医ランキング:糖尿病部門」では、常に10位以内として桜の花出版の書籍から紹介されていました。
メディア会、政界、芸能界の、いわゆる重鎮と呼ばれる方がたや、IT業界でも天才と言われる方がたとの出逢いも、開業医を行っている間に生まれ、しだいにSo-net時代の事も知れ渡り、各業界から私が再度、IT業界へ復帰してくれないか、という依頼が増え、その期待に応えるために、2011年、新会社:MyMedipro株式会社を起業することになりました。